【トヨタWRCの歴史】レビン・セリカ・カローラからヴィッツへ渡される歴史のバトン

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2017年トヨタ復帰へ向け歴史の先端を走るヤリス(ヴィッツ)WRC

2017年のトヨタWRC復帰にあたり、これまでの歴史をまとめました。カローラレビン、セリカ、セリカGT-Four、カローラWRC、そしてヴィッツへ渡されるWRCのバトン。改めて「モータースポーツのトヨタ」を振り返ります。

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トヨタWRCの前身

トヨタのWRC参戦の歴史はラリードライバー、オベ・アンダーソンから始まる。

オベ・アンダーソンが保有していたプライベートチーム「アンダーソン・モータースポーツ」が、当時国際ラリー活動を模索していたトヨタの目に止まり、1972年にトヨタからアンダーソンへ資金提供・技術提供を開始した。

オベ・アンダーソン(1938年-2008年)

トヨタWRCのドライバー、オベ・アンダーソン

トヨタF1の初代代表を務めた元ラリードライバー。日本では2代目「スターレット」のCMに出演していた事でも知られる。当時のCMテロップは「ラリーの神様」。2008年に開催されたミリガン・クラシック・ラリー(南アフリカ)の参戦中に事故死。70歳だった。

▼「スターレット(KP61)」のCM

1975年 カローラレビンで初参戦

カローラレビン(TE27)

オベ・アンダーソンのチームはトヨタの公認を受け、チーム名を「トヨタ・チーム・ヨーロッパ(TTE)」と名乗る。これがトヨタのWRC初参戦年となる。

同年の1000湖ラリー(現在のラリー・フィンランド)でトヨタのWRC初優勝を飾る。マシンは「カローラレビン(TE27)」、ドライバーはハンヌ・ミッコラ。

1979年 セリカ投入

トヨタ セリカRA40

マシンをカローラレビン(TE27)からセリカ(RA40)へ。

1979年 拠点移動

オベ・アンダーソンは「アンダーソン・モータースポーツGmbH」を設立し、拠点をベルギー・ブリュッセルからドイツ・ケルンに移す。

この年のRACラリーからDOHC4バルブエンジン使用が許可され、ベース車両はセリカ(RA63)へ。

RACラリー

ロイヤル・モートオービル・クラブ(RAC)が主催したためRACラリーと呼ばれる。1997年からはラリー・オブ・グレートブリテン、2003年からはウェールズ・ラリーGBと名称が変わっている。

1983年 本格活動開始

トヨタがモータースポーツ活動を再開、本格的なワークス活動へ。

1984年 3連覇のはじまり

サファリラリー(2002年までWRCの一戦に含まれていた。現在はアフリカラリー選手権の一部)で優勝。この年から3連覇。

1988年 セリカGT-Four投入

トヨタ セリカGT-Four

1987年のグループA規定導入により、この年からセリカGT-Fourを投入。

1990年 ドライバーズタイトル獲得

カルロス・サインツがWRCとアジア・パシフィックラリー選手権(APRC)のドライバーズタイトルを獲得。

1992年 セリカGT-Four RC発表

トヨタ セリカGT-Four RC

カルロス・サインツがWRCのドライバーズタイトルを獲得。

この年、WRC用の「GT-Four RC」が発表された。水冷式インタークーラーと金属製タービンを使用したターボチャージャーが搭載。ワイドボディ化によりブレーキサイズの拡大を実現、制動力が向上した。

1993年 WRCダブルタイトル

ユア・カンクネンがドライバーズタイトルを獲得。さらに初のメイクスタイトルを獲得し、トヨタはWRCでダブルタイトルの獲得となった。

この年、トヨタが「アンダーソン・モータースポーツGmbH」を買収、「トヨタ・モータースポーツ有限会社(TMG)」へ改称した。チーム名はトヨタ・チーム・ヨーロッパ(TTE)のまま継続された。

1994年 2度目のメイクスタイトル

ディディエ・オリオールがドライバーズタイトルを獲得。メイクスタイトルを獲得。

1995年 ペナルティ処分

リストリクターに関するレギュレーション違反が発覚。今シーズン全ポイントの剥奪、翌シーズンの参戦禁止ペナルティの処分を受ける。

リストリクター

エンジン出力を制限する目的で取り付けられる部品。吸気量を制限するエアリストリクターと燃料を制限する燃料リストリクターがある。

トヨタ・チーム・ヨーロッパ(TTE)がペナルティ処分を受けたのはエアリストリクター。リストリクター外からの吸気が意図的に可能な構造になっていたとしてレギュレーション違反となった。

1996年 参戦禁止

ペナルティにより参戦禁止。

1997年 カローラWRCを開発

トヨタ カローラWRC

参戦自粛。

休止期間中の2年間でカローラWRCを開発、非公式でテスト参戦。

カローラWRC

道幅が狭く曲がりくねったコースが多いWRCでは、ロングノーズのセリカでは限界があった。よりコンパクトなボディで参戦する他社に差を付けられており、カローラ(AE111)をベースにセリカのターボエンジンと4輪駆動を収めたマシンを作り上げた。

1998年 正式復帰

WRCに正式復帰。

1999年 3度目のメイクスタイトルと終焉

3度目となるメイクスタイトルを獲得。

しかし、トヨタがF1への参戦を決定し、同年限りで27年間のラリー活動に終止符を打つ。

そして2017年 トヨタWRC復帰

トヨタ ヤリス(ヴィッツ)WRC

止まった歴史が動き出す。ヴィッツ(ヤリス)をベースとしたWRC参戦車両を開発、2017年トヨタがWRCに帰ってくる。

http://car.digiat.net/toyota-wrc-vitz-23.html

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