ジョン・メイの誠実さに心を打たれる映画「おみおくりの作法」
徐々に上映する映画館が増えてきた「おみおくりの作法」を観た。原題は「STILL LIFE」。主演は本作が初主演作のエディ・マーサン。
雨の夜、小さな映画館で観てきたが、むしろそれが良かった。ザワザワと騒がしい映画館は、この映画の後味に合わない。
誰もがいつか通る道
主演のエディ・マーサンが演じるのはロンドン南部ケニントン地区の民生係「ジョン・メイ」。孤独死した人の葬儀を執り行うのが彼の仕事、とオフィシャルサイトにはあるが、ちょっと違う。
もちろん、孤独死した人の遺品から、その人の過去を知り、葬儀でのメッセージ(弔辞)を作り、その人に合った曲を選曲し、ジョン・メイたった一人で葬儀を見届けるシーンはいくつもある。
重要なのは、孤独死した人の関係者(親族であったり、知人友人であったり)を見つけ出し、葬儀に参列してもらうこと。それが彼の仕事。
だが、彼は解雇されてしまう。理由は「時間をかけすぎている」「費用削減」。もっともらしい、が、なんと心ない上司かと思う。
亡くなった人に想いはないのか
「亡くなった人に想いなんてない」「参列者がいないなら埋葬だけでいい」これもジョン・メイを解雇した上司の言葉。
故人に想いがあるかどうかは、宗教上や思想上の問題だろうから、特には語らない。
しかし「参列者がいないなら」のくだりには違和感を覚える。孤独死した人の葬儀に参列する人を探さなければ、参列者などいるはずがない。亡くなったことを知る余地がない。
ジョン・メイの公認となった女性の仕事ぶりを垣間見るシーンもあるが、まさにやっつけ仕事。そこに故人への敬意など存在しない。
やはり親、やはり子
ジョン・メイの最後の仕事となったのは、自宅の向かいに住んでいた老人ビリー・ストーク。アルコール中毒だった。
自宅アパートの窓越しから見える場所に住んでいたビリー・ストークの逝去に、ショックを受けるジョン・メイ。
今までの仕事同じように、いや、今までの仕事以上に、ビリー・ストークの遺品から見つかった少女の写真を手がかりに、参列者を探しイギリス中へ出向く。
そして娘のケリー(ジョアンヌ・フロガット)を見つけ出す。ビリー・ストークの部屋とケリーの部屋に共通点があった。それは折れたソファーの足。
折れた足の代わりに本を積み重ねて応急処置した、親の部屋と同じ娘の部屋。ジョン・メイは何も言わないが、縁が切れていたと思われた親と子の見えない繋がりを感じるシーン。
予想できるがやはり悲しいラストシーン
わずか91分と短い「おみおくりの作法」。そのラストの展開は、正直なところ予想できるものではあった。
しかし(詳しくはネタバレになるので書かないが)懸命に誠実に、故人のために働いてきたジョン・メイへの感謝がそこにある。
死者に想いはないのか。考えさせる映画だ。